回顧録:朝日新聞による迷キャンペーン2006について考えてみます

最近はマスメディアの無力さ、或いはそれを自覚しつつある彼ら自身の焦燥を感じることが多い。そんな中で先日開始された朝日新聞の新キャンペーンはその質の低さに当惑すら感じてしまう。少なくとも私は批判する以前に困惑してしまう。そんな人も多いのではないだろうか。ここにそのコピーワークの全文を記してみよう。
言葉は
感情的で、
残酷で、
ときに無力だ。
それでも私たちは信じている、
言葉のチカラを。
ジャーナリスト宣言。
朝日新聞
キャンペーンの意図等が記されたオフィシャルページはこちら。このキャンペーンを企画し実施した責任者はどんな思いで判断をしたのだろうか。またこのキャンペーンを企画するに当り、自らの知性をフル回転させたのだろうか。自らのペンを取って文章を紡ごうとしたのだろうか。言葉の力(敢えてチカラという広告的ギミックを用いるセンスも疑うが)を云々する以前に言葉を操る知性の力を私は疑う。
①言葉が「感情的」であったり「残酷」であったりするわけではない。それは言葉を紡ぐ者を映しているに過ぎない
②よって「無力」なのは言葉ではない、あなた方である
③あなた方は言葉の力とは何だと考えるのか、その内省無しに盲信するのはナイーブでしかない
④言葉の力を信じている集団だからといって、その集団を信じられるわけではない
⑤力を何故チカラなどと表現するのか、それが言葉の力だと信じるからか
⑥こんな言葉を世に問うあなた方は、この言葉に力があると本当に信じているのか
⑦今敢えて「ジャーナリスト宣言」を発するのはあなた方がジャーナリストでないという自覚からか
⑧どのような覚悟を持ってこの低劣なキャンペーンを世に問うのか
⑨あなた方が行使すべき言葉の力とは広告のような形を取るべきなのか
⑩そもそもこの言葉は自らの言葉なのか
少し考えるだけでも言いたいことが山積されてしまう。この広告キャンペーンは私の記憶にある限りにおいて、史上最悪であろう。広告主のコアなる価値を瓦解させる効果を発揮したケースとして。自らの言葉であったとすれば、あまりにも愚かである。他人の言葉を借りて言葉の力を宣言するとしたら、これもまた愚かとしか言いようがない。このメッセージを承認した朝日新聞の見識は私には俄かに理解しがたい。マスメディアと広告会社の低見識をこれほど露呈する事象は記憶にない。いまだに私は困惑している。

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