回顧録:大学生と「働く」について考えるプロジェクトをしてみました

若年層の基礎知識2005を検証すること、そしてその結果を大学と企業の双方に有益な形でフィードバックすること。そんな問題意識で我々は大学生と「働く」ということを考えるプロジェクトをスタートさせ、今週デプスインタビューを終了した。

その調査内容をこのインターテクストブログで明らかにすることはできないが、想定していた以上の現実が浮き彫りとなり、日本の将来について大きな危機感が僕の中で生じ始めた。一言で言えば「日本社会のダイナミズム」は失われつつあり、将来的にその傾向は強まりそうだ、ということである。調査前に想定していた若年層のアウトルックは以下のとおり。
①モノサシは偏差値
②叶わない夢はみない。
③遠くをみない。
④手法論には長けている。
⑤若者は旅人、ではない。
結果を概観すると②~④については「実務家」としての素養と解釈できる。適切なフレームさえ与えられれば彼らはおそらく優れたパフォーマンスを発揮するのではないか。また、旺盛な社会貢献意欲、家族と家庭思いの志向など、社会にとって極めて「善良な市民」となる資格を持った世代なのではないか、と感じる。彼らを機能させるための環境とインセンティブをどのように整備できるか。むしろ責任は現在の経営者やマネジメント層にある。この点は非常に明るい情報として受けとめられた。逆に僕を暗澹たる気持ちにさせたのは、もはや怪物のように膨張してしまった観のある「偏差値社会」の現実である。


何でもカンでも偏差値で解釈するのが昨今の若年層の特徴と言うことは知っていたが、就職を受験とほぼ同義で捉え、自分の偏差値から推定してこの辺りの会社に就職しよう、という論理が働いていることに驚かされる。そして、この論理は各人の考え、行動の多くを律してしまっている。もちろんその背景には企業の採用方針がある。この結果どういうことが起こっているか? 偏差値の高い人ほど、選択肢が多い。偏差値の高い人ほど、人生の道筋がバラエティに富む。偏差値の高い人ほど、将来について可能性が大きい。そんな状況が生まれつつことが予想される。そして、その逆もまた。日本社会は、偏差値の高低と無関係にどんなところからでも予想しない成果が飛び出してくる、そんなダイナミックな社会でなくなりつつあるのではないだろうか。このままでは日本に二度と松下幸之助も本田宗一郎も田中角栄も生まれなくなるのではないか。そんな危機感を僕は感じている。
類似する見解を示す著書がいくつかある。東京大学の苅谷剛彦教授は論文集『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会』の中で両親の学歴が子供の学習意欲と相関することを示し“インセンティブ・デバイド”というキーワードを提示している。また山田昌広氏は著書『希望格差社会~「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』で、二極分化により犯罪増加、社会不安増大、経済停滞を招くと言及している。
僕は今回の調査結果のみから、俄かに「社会不安」まで言及することを良しとしないが、いかなる階層や属性の人々の中からも高質なアイディアが飛び出てくる社会の方がそうでない社会よりも面白いし活力に溢れているのではないかと思う。人間の能力には自ずと差異があることを前提としても。問題は総合判定軸が力を持ちすぎていることだ。何でもひとつのモノサシで計るのはあまりにも乱暴ではないだろうか。まずは、個々人のパーソナリティや能力を把握し、その成長を計測するためのモノサシの数を増やすことが必要だろう。そのためには教育行政が率先して、教育現場における判定軸の多様化を促進する必要がある。体育における「一緒にゴール」など言語道断だ。体力に優れていることも大きな判断軸のひとつなのだから。先日インターテクストブログでもコメントにあった国公立大学の専門分化などの方策もこの現状を改善するために機能しよう。
ジェレミー・リフキンの名著『エントロピーの法則』ではエントロピーの増大を「使用不可能なエネルギーの増加」と表現している。日本社会はまさにこのエントロピーの増大局面にあるのではないか。多くの若年層を使用不可能なエネルギーとして抱え込んでいるとしたらまったく馬鹿げている。社会の多様性とダイナミズムを取り戻す具体的方策をレポートに盛り込んで行きたい。

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