内村鑑三

「日本連邦共和国」を構想してみました➋:立国コンセプト

内村鑑三

 私たちの「日本連邦共和国」を構想するにあたり、立国のコンセプトを発案しようと思います。その前にこれから用いる「国家」という概念について前提を整理しておきます。(Wikiを参考に) 法学的には「一定の領域・領地・領海を持ち」「恒久的な国民が存在し」「主権が存在する」という条件が国家の定義だそうです。なるほど。要件定義はこんなところでしょうが、問題は国民が健全な愛国心を持てる国家、求心力のある国家を作るにはどうすればいいのか、ということです。

 そもそも、日本の正式な国号について、私たちは習ったことがありますか?
これまたWikiによれば【「日本国」あるいは「日本」という国号は、日本列島中国大陸から見て東の果て、つまり「日の本(ひのもと)」に位置することに由来していると考えられる。憲法の表題に「日本国憲法」や「大日本帝国憲法」と示されているが、国号を「日本国」ないしは「日本」と直接かつ明確に規定した法令は、存在しない。】 とあります。おいおい、日本は正式名称(国号)もない国なんですよ。

しかも中華から見て日の本にあるからという由来です。主権があることが重要だとすると、他国との相対的な位置関係を国名にするという選択が主権国家にとって望ましいことなのか、考えさせられます。私たちの日本という国はさきほどの法学的解釈によれば、大陸の東にある「列島という領土」に住んでいる「国民」が「議会制民主主義で国民主権を守っている」国ということになるのだと思います。まあ「この島に生まれ育った人たちの国」ということでしょうか。「たまたま居合わせたから一緒にいる人たちの国」という言い方も成り立つのかも知れません。

 他に目を移すとフランス、アメリカなどは市民革命を経て王権を国民の手に移しています。その際に「自由・平等・同胞愛」や「フリーダム」などの標語が意味を成したと思われます。アメリカ合衆国は徹底した「自由」のもとの「競争」による「繁栄」を目指す極めてコンセプチュアルな国家だと思います。そしてそのコンセプトを称揚する国民がいる。逆に日本にはそうした明快な理念は存在しません。それでも国家として成立してきたのは、おそらく日本人の気質・形質の中に何らかの共通項があり、それを前提に求心力が働いてきたからだと私は推測します。まあ、平たく言うと「いい人たちが仲良く住んでいた島」が日本なわけです。

 先の論考でも書いたとおり、日本人の美点(=いい人性)はいまでも存在すると思っています。真面目で優しく、あまり狡賢くなく、情にもろく理に疎く、忘れっぽい。根気強く、精度が高く、几帳面。その裏返しが自己主張が少なく、付和雷同的で、対立を避け中庸をとり、落としどころを探るという性向であり、現在の政治の体たらくはこの悪い面が沈殿し蓄積し凝固してもはや魔物のように膨れ上がった結果でしょう。言うまでもなく、先の震災と原発事故によって、私たちの日本は戦後最大の危機に瀕しています。私もその認識で正しいと思う。一方この危機は、明治維新、第二次世界大戦の敗戦からの復興に次ぐ第三の建国の契機でもあり、私たちは積極的にそう思うべきでしょう。思えば、明治維新も戦後復興も欧米列強へのキャッチアップという共通の動機がありました。しかし第三の建国である今回は、誰かの背中を追うのではなく私たち自らの中から抽出され私たちの誰もが共有できる「理念」が必要だと思います。それが立国のコンセプトです。

 結論から言うと、私は日本は「倫理立国」すべきと思います。高いモラルを国是として掲げる国として立国するのです。震災と事故がもたらした大混乱の中、飢えと寒さという艱難に直面しても多くの東北の人たちは慌てず静かに周囲を慮った行動を取ったと聞きます。そして海外メディアはこぞってそれを報道した。驚くべき日本人を世界は初めて知ったのです。しかし、日本人である私たちにとってこの事象は驚くべきことではないと思います。もしも同じ状況に置かれたとしたら、自分もそうするであろうという確信が私の中にもあります。おそらく多くの日本人の心の中に同じ思いがあるでしょう。そしてそれが私たちの誇りの源泉だと思うのです。そうした魂を立国のコンセプトにするべきだと私は思うのです。

 別の言い方を考えましょう。日本人は善悪で物事を見ない民族です。私たち日本人は物事を美醜で見るのです。そういう民族であり、それでいいのです。何も恥ずかしいことはありません。美しいか否か。これを最大の価値軸にする民族による国家。それが私が考える日本です。そしてその美意識は集団の倫理へと結びつきます。白川静の『常用字解』によれば「倫」とは「仲間うち」であり倫理とは「仲間うちでの理(ことわり)」を指します。私たち日本人は、善悪でなく美醜を問題にする自らの性質をもっと自覚した方がいい。そこに立脚した「倫理」を柱に立国するということが、私は可能だと思います。以前「美しい国」を標榜した宰相がいました。その意気やよしですが、日本を美しい国と評してもその価値観は人それぞれなので、美しいかどうかは共有できません。しかし、美しいか否かを第一に重視する国、ということは理解されるでしょう。その国が選んだ政策やその国が発するメッセージが美しいと各国からも評価されれば、美しい国にもなりえるでしょう。

 翻って今の政治のドタバタ劇。まあ、今に限らずいつも私たちの国会はドタバタしているわけですが、政治を見ていて私はいつもモヤモヤします。きっと多くの日本人はモヤモヤしているでしょう。その理由は日本人の大半は美醜を問題にしているのに、物事が善悪で語られているからです。国民は政治家のしていることが「正しいか正しくないか」すなわち「善か悪か」という基準ではなく「美しいか醜いか」という視点で判断して、「醜いから敬意を失っている」のです。しかしマスコミはそう言わず「善悪」で理屈を捏ねようとする。だからモヤモヤするんです。「正しくてもかっこ悪いこと」は、日本人は大嫌いなんです。だから男前な政治家(外見だけのことではありませんよ)がいれば、ずっと政治は良くなるでしょう。それなのに、世の中、かっこ悪く醜いものばかり。
東京電力の幹部は事故後、全員が辞表を出すべきだったかも知れません。その上で全責任は私たちにある、だから東電の幹部としての職は辞しても被害を食い止める仕事は責任を持って果たす、と言うべきだった。そういう人をリーダーに頂きたいのが日本人の本音ではないでしょうか。

 加えて言えば、自らの進退をスパッと決められない政治家はもとより、かつての消費者金融問題など報道では叩いておいて一方で広告は頂戴したい、なんていう具合に二枚舌を使うテレビ局なんか、かっこ悪い存在の代表選手でしょう。(ふう。)

 だんだん脈絡が怪しくなってきましたが(笑)、「善悪ではなく美醜で世界と対峙する国」、そういう国として日本を国際的に認知させていければいいと思います。実際には「日本連邦」のコンセプトであり、各州にまたがる日本人の統合の象徴がこうした「倫理意識=美意識」であるという形に位置づけることになると思います。こうした方針を打ち出した場合、グローバルコンペティションが進む世界で、倫理や美意識などに立脚した戦略で競争力を維持確保できるのか、という批判や問題意識が生じてくることと思います。しかし21世紀を通じてグローバルに競争が行えるほどもはや地球は無限の存在ではありません。地球という閉鎖系の中で考える以上(まあ、宇宙開発という選択肢が現実化すればまた状況は変わるかもしれませんが)、もはや各国が無垢に経済的発展を追求できる余地は多くないでしょう。これからはそれぞれの利害を調整していくこと、各国とも何らかの形で「折れること」を求められるはずです。その時に「倫理立国」している日本国(正式名称は日本連邦共和国です)は世界の先駆者として各国間の調整に当たるというわけです。有効な戦略だと思うんだけど。

 ここまで書いてきて(というかモヤモヤを吐き出してきて)、日本をキリストと重ねて考察をし続けた内村鑑三のことが思い起こされています。内村鑑三はJapanとJesusという二つのJをいつも意識してそれを重ねていた思想家です。改めて著作を再読してみて、第三の建国に際しての立国コンセプトに肉付けしてみようと思います。
(アイキャッチ画像が内村鑑三です。出典:ウィキペディア

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