「重い課税の小さな政府」という矛盾について考えてみました

「重い課税の小さな政府」という矛盾について考えてみました

昨日、第三次小泉内閣が組閣された。新任閣僚らの談話をいくつか聞いたが、その中で私が気になったのは、自民党政調会長に任じられた中川秀直氏の言葉だった。それは以下のようなものだ。
「国民が小さな政府を選択したわけであるから、………」
先の衆議院選挙は「郵政民営化に賛成か、反対か」で民意を問うたわけであるし、首相の言う「郵政民営化は改革の本丸」であるとしても、「改革の全体像」は示されないまま国民に投票行動を強いた特殊な選挙だった。国民はマスメディアの影響もあり、純粋に「郵政民営化に賛成か、反対か」のYes/Noクエスチョンに回答してしまったわけである。その結果を受けて、「国民は小さな政府を選択した」というのはあまりにも手前勝手な論理ではないだろうか。
奇しくも昨年10月に、米国新古典主義経済学の大家であるガルブレイスの著作の読後として、日本の社会保障のあり方については日本国民自身が十分に論議してその方向性を決めるべきだと書いた。従来より、「自助努力と優勝劣敗」を旨とする米国型社会は日本の国民性に合わないのではないか、と考えていたからである。競争原理を利用した方が社会・経済が活性化する、という論旨に完全に反対するものではないが、国家の基本デザインをどの水準でバランスさせるのか、については慎重かつ十分な議論が不可欠であると思う。しかし政府行政サイドの見解では、この問いへの答えはもうすでに出てしまったということらしい。いったいいつ多くの国民が小さな政府を望んだというのか。そのメンタリティは未だに比較的手厚い福祉を望んでいるのではないか。
昨日の「報道ステーション」では、キャスターがもはや「増税」は規定路線であるかのように、また自分たちのことではないかのように、まさに実況中継の様相で伝達していた。マスメディアの危機への感受性はここまで低下してしまったのか。
先の衆議院選挙の際、国民はYes/Noクエスチョンの結果の更に先を見越して投票すべきだった。(私は当然そうした)米国ですら国営公社で運営している郵便事業を民営化し、米国以上の「小さな政府」を目指す日本。しかも日本郵政公社の職員には事業資金から報酬が支払われており、公社を民営化してもなんら「小さな政府」に近づくわけではない。「小さな政府」にするには、特殊法人改革をはじめとする行財政改革がまず第一であることは論を待たない。そして政府が言う「小さな政府」には「増税」が寄り添っている。「重い課税を伴う小さな政府」という世界史上稀な非効率な国家デザインがここに提示されている。日本経済と国家機能のマクロトレンドは明らかに失調するだろう。我々はそれでもこの現実に立ち向かう方途を探さなくてはならない。

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