高貴ならざる者の簒奪的精神について考えてみました

高貴ならざる者の簒奪的精神について考えてみました

政府与党が提出した「国会議員互助年金(議員年金)廃止法」は1月30日に衆議院を通過し、2月3日に参議院本会議で与党の賛成多数で可決された。

これでこの法案は4月1日から施行されることが確定した。巨額の財政赤字が問題となる中、「議員年金」を廃止すべしという小泉内閣の方針そのものは広く受け入れられていた。しかし決着に対しては多くの批判が集中し、ライブドア疑惑、BSE関連、耐震強度偽装事件、防衛施設庁談合事件で失墜した内閣支持率に追い撃ちを掛ける情勢となりつつある。ここで議員年金を巡る議論のプロセスと課題を整理しておこうと思う。
●議員年金の現状
⇒在職時に月約10万円を納付
⇒在職期間などに応じて、退職後に年間約412万~約741万円を受給
⇒国庫負担率は約7割(議員の個人負担は約3割)
●議員年金の廃止圧力
⇒国民年金の保険料上げ
⇒増税政策
●背景
⇒巨額の財政赤字(国と地方合わせて1,000兆円に上る負債)
すなわち小泉内閣の任期が切れる今年9月以降の増税政策を睨み、国民年金の保険料上げや社会保障の縮小とトレードオフの関係とするためには身を切る必要性を感じた、という流れであろう。しかし結果は以下のようなものだ。


●議員年金廃止法の内容
⇒在職十年未満の議員から制度を廃止
⇒在職十年以上の現職は「返還」を選ばなければ、年金は支給
⇒廃止により従来と比べてどれだけ税金投入が節約できるかは「算出不可能」(自民党政調関係者)
⇒納付がなくなるため国庫負担率は10割となる
⇒更に自民党内では退職金制度を検討中(国庫負担を含む)
若い議員を除くと事実上の既得権益の温存が決定されたわけである。国庫負担は30~40年後の「遠い将来には限りなくゼロ」に近づくでしょうね、という極めていい加減な結論付けと言える。既得権益を保全したい気持ちは理解できる。しかし「国権の最高機関」であり「国民の代表」が集う国会において、これほどあからさまな既得権益保護が行われるとは一体どうしたことだろう。民主党のウェブサイトでは「既に支給される権利があった議員の年金廃止は財産権の侵害に当る」という抗弁を受けたことも明記されている。更に驚くのは自民党政調副会長の鈴木恒夫議員の発言である。要旨は「身分が保障されなくては、志のある人が国会議員にならなくなる」ので「議員年金は必要であり、保全すべき」という論理であった。自由民主党の考えでは、国会議員とは損得勘定で勤めるものだったらしい。「たとえ身分が保証されずとも、多くの人々のために働こう」と考える人が国権の最高機関に加わるものだと私は思っていた。国政選挙を経て国民に選ばれた代表である国会議員は「高貴なる者」である。だからこそそこには国民と国家に尽くすという「犠牲的精神」が寄り添うべきなのである。この国の「高貴なる者」は「犠牲的精神」を失い、自らの「財産権の侵害」すら主張する存在、すなわち「高貴ならざる者たち」に堕した。こうして国家は壊れていくのだろう。この国の行方を私は目を見開いて記憶しておこうと思う。そして国が壊れたとき、私たちを救うものが何かを改めて考えておく必要があると思う。それはおそらく美しい日本語であり、日本の食文化であり、生活文化であるだろう。いつの日にか、それが我々の救いとなるはずである。そのときに大事なものまで失っていないように心しておかねばならない。

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