大学にブランディングが必要か考えてみました

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少子化による学生争奪戦の激化、国立大学の法人化などを背景として、大学による集客戦が激化している。教育領域におけるマーケティング戦略の導入である。

先日エントリーのあった萩国際大学の経営破綻はこれから起こる事を想起させるに十分だ。この大学の経営計画が大甘であったことは道路公団をはじめとする官業の特徴として理解できるとしても、電通と組んでブランド戦略を構築するという京都大学の例など昨今の大学のブランディング路線には首を傾げたくなる部分も多い。各大学とも特色を出すこと、独自のイメージ戦略を打ち出すことに躍起になっている。そうした現状を踏まえて尚、敢えてここで問題提起をしたい。そもそも大学にブランディング視点など必要なのか?

ブランド戦略とは、煎じ詰めれば顧客の頭の中の知覚をどう管理するか、に他ならない。ネーミングではなく、それをブランドと呼称するとき、私たちが扱っているのは自分たちのものではなく、顧客のものなのである。大学の顧客を学生と考えるのはまず正しい。しかし顧客に選ばれる大学、というゴール設定は誤っている。僕が思うに、それは本質的に大学が提供すべき価値と相容れない概念だからだ。
僕の考えには「大学は知の拠点であるべき」という前提がある。知を希求する人々が集うべきが大学である、という考え方だ。リゾート施設化を危惧される大学も多いが、初等教育と異なる高等教育を受ける施設として考えたとき、大学はやはり「知の拠点」であるべきだろう。大学が「知の拠点」であるとしたら、次に問うべきは「知」とは何か、また「知的好奇心」とは何か、であろうと思う。ややパラドクシカルな書き方をしてみよう。「知」とは「未知」であるからこそ、魅力に満ちている。すなわち「知的好奇心」とは「未知」のものに対して持つものである。大学の顧客である学生は、「自分が知らないことを学ぶ」ために大学に通う。そうした学生の知的好奇心とは「自分が知らないということすら知らない」領域に対して抱かれる。大学はこうした学生が「知らないということすら知らない領域」を常に与え続ける存在であるべきだろう。それに成功する大学のみが「知の拠点」として存在することができる。
他方それは、大学をサービス産業にしてはならない、という結論へと僕らを導く。大学は顧客である学生に対して分かりやすいサービスメニューを提示すべきではない。分かりやすい選択肢から学ぶべきものを「選べる」ということは学生が「知っている」ことを前提としている。学生が予め「知っている」ことを提供するのでは、大学は「知の拠点」足りえない。「知の拠点」たる大学は学生に「未知の領域」の存在を知らせ、それを欲させる者であり続けなければならないのである。それが今、真に求められる「教育」であり、それは「顧客ニーズへの対応」とは異質なものだ。昨今の大学ブランディング狂騒とは一線を画し、大学が真にとるべき戦略とは、大学としての矜持を保ちつつ、安直な教育サービス産業に堕さず、顧客である学生の脳裏に想起される知的好奇心に独自の形を与える作業である。この本質を我々は見逃してはならないだろう。

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